ここのところ、精神の世界の話を、あまりしてません。
例えば、あなたの中に僕がいて、僕の中にもあなたがいる。
たとえ、逢ったことも話したことも無いあなただとしても。
精神の世界とは、そんな世界。
普段の生活の中で、そんな事を常に感じながら生きているわけではないのだけれど、僕らは皆、精神の世界と、目の前に広がる世界と、二つの世界と共に生きています。
もちろん、そんな事を感じることもなく、また、考えることもなく、そのまま人生が終わる人もいるのかもしれないけれど、感じて、考えて、その世界がどのような世界であるのか、自身が納得するまで答えを見つけようとする人もいます。
自分の人生は夢なのだろうか?幻なのだろうか?
そんな風に考える人もいると思います。
まさに、それが精神の世界。
精神の世界は、それぞれの宗教で伝えようとしている世界とも言えます。
例えば、僕が言うところの、〝誰でも属している次元の違うエネルギー体〟と言うのは、仏教で言うところの曼荼羅だったり。
〝善と悪〟ならば、聖書に書かれている事だったり。
これまで生きてきた先人の方々も、精神の世界を記録として残しています。
精神の世界というのは、誰しもが属している、つまり自身が持っている世界なので、切り離して生きることは出来ません。
目を背けていても、生きていれば、多くの人が感じて、そして考える世界です。
宗教というと、抵抗がある方もいると思います。
一歩手前のような感覚では、哲学があります。
人間とは何か?
そんな事を考える学問。
学問の方が抵抗がないという方もいると思います。
宗教、哲学、どちらも思想です。
宗教は、貴方自身が貴方の体から離れて少し高い位置から自分を見て、さらに高い位置に行けば、この星を離れたところから見て、さらに高い位置へ行けば、この宇宙を離れたところから見て、さらに高いところへ行けば、たくさんの宇宙を見ている視点を持ち、さらに高いところに行けば多くの次元の、、、キリがないですが、その視点を持った時に感じた世界の教えと言える。
でも、誰もそんな場所に行けるはずもなく、感じる事しか出来ません。
哲学は、論理的に考えて、自分の内と外の関係を言葉で表す世界。
論理的に考えても、結局のところ不確かな世界に入り込んでいくので、こうです、とは、断定できません。
だからこそ、偉大な哲学者でも、それぞれが着地する場所が違うのだと思います。
何で、こんな事を僕は話し続けるのかと言えば、話すべきと感じているからです。
前にもブログで書きましたが、僕は子供の頃、未来は素晴らしい世界に変わると、感じていました。
科学技術の発展とともに、機械やロボットと共存して、人間の生活は豊かになる。
そう思っていました。
でも、何十年と経った今、そのような世界には成っていない、僕はそう感じています。
そして、この先は、素晴らしい世界が待っていることも感じていますが、それには、大きなアクションが必要であることも感じています。
「今の僕らの世界、最高にいいね、住みやすくて」
そう感じている人が全くいないとは思いません。
必ず、現状の世界に適合している人はいるのだから。
でも、僕が色々な人と実際に逢って話した感じだと、そのような人は、なかなか見つからない。
今の僕らの世界を、自分自身で調べ紐解いていくと、ピラミッド社会になっていることが解ります。
上にいる少数の人になればなるほど、自分の下にいる人達の、大切なものを搾取している。
多くの人は、争い、盗み、嘘などの、良心に反する行為を避けて生きていますが、今のピラミッド社会の頂点にいる少数の方達は、その逆です。
その方達が仕切っている世界では、必然的に、社会そのものがそうなってしまうので、多くの人が苦しむのは当然のことです。
今に始まったことではなくて、何千年も続いてきたシステムですが、そのシステムは、必ず終わりを迎えます。
そのために、みんなが一つになる。
お疲れ様でした。
今日もみんなありがとう。
それでは、また明日☆