同窓会

僕は今年の10月に中学校の同窓会を計画している。

今年の5月に同級会をやったのだけれど、その後で他のクラスの友達に会った時に、同級会が盛り上がって楽しかったこと、それぞれに気づきや思う事が芽生えて良かったこと、そんなことを話した。

他のクラスの友達にも「やってみたら?」と、話をしてみたのだけれど、その友達は「俺たちのクラスは集まらないからやらない」と言うのだ。

「なら、学年全体なら集まるの?」と聞くと「それなら参加する人いるんじゃないかな」と言うことで、同窓会をやろうと決めた。

 

僕が2011年に東京で勤めていた会社を辞めて長野に戻ってきた頃、偶然に街中で出会った懐かし友達と立ち話をした時に、「そう言えば、○○は元気?」と聞くと、「全然会ってないから知らない」と返事する友達が殆どだった。

地元に長く住んでいるのに、あんなに仲の良かった仲間が、疎遠になっていることに違和感を感じた。

長野に戻った2011年は、被災地へ行ってボランティア活動をして、2012年から2013年の春までアジアで紙芝居をやりながら旅をしてたので、すぐには出来なかったけれど、海外から帰って来て、とりあえずBBQをやって仲間と集まった。この仲間は、中学時代、高校時代、よく遊んだ仲間だ。

昔を知っている友達といると、時空を超える。

このBBQをきっかけに、ちょくちょく仲間と集まる時間が増えて来た。

 

今年やった同級会は、これも友達が疎遠になっている事に対しての違和感からやる事にした。

僕らの時代は、あまりクラス替えって言うのは少ないと思うのだけれど、僕の通った小学校と高校はクラス替えがあった。中学校は唯一クラス替えが無かった。

あの多感な時期に、三年間一緒に学校生活をして来た仲間は、何か特別な関係を感じる。

僕が通った中学校は国立で、奇妙な校則がいくつもあって、先生は異常なまでに口うるさかった、今こうして振り返って見ても、多くの事が馬鹿げていたのだけれど、だからこそ、その変わった境遇を共にした仲間にしかわからない共通の感情があるわけで、それをこうして今になって再び共有する事も、同級会の醍醐味だ。

物事全てそうだと思うのだけれど、同じ立場に立ってみなければ、わからない。

想像はできても、所詮は想像の域で、本当のところはわからない。

同じ境遇で生活して居た友達が、数十年の月日を経て、どのように成長しているのか、また、自分がどのくらい成長したのか、それがわかるのも同級会や同窓会だと思う。

 

話したい事は沢山あるけれど、この先のブログで少しずつ話そうと思っています。

 

とりあえず、今日は同窓会の幹事会が夜にあって、発起人である僕は、会議に必要な資料作りのため、内装作業は出来ませんでした(苦笑)

 

今夜も、18人の幹事が集合して、本番に向けて夢膨らませてました☆